いづろ商店街ついて

 

いづろ商店街は、鹿児島市の中心街「天文館」に位置していて、市電のいづろ通り電停から天文館電停までの全長250mの両側です。
百貨店の"鹿児島三越"・スーパーの"ハルタ"・他に衣料品の専門店から家庭雑貨・飲食店・ケーキ屋さん・銀行・玩具店とバラエティ豊かな商店街でお客様に愛される店舗でいっぱいです!


いづろ通り会
理事長
田渕 健二
住所
鹿児島市金生町1−12
いづろパールビル4階
電話
099−222−7891

 

 

いづろ通りの名所「天まちの泉」

 

 


熊本ファミリー銀行前「天まちの泉」


鹿児島の繁華街は、江戸時代に天文観測所が置かれていたことから、「天文館」と呼ばれ県内外の人々に広く愛されてきました。

天文館の真ん中に噴水=泉ができたのが平成4年。いつしか、その泉を取り巻くように人々が集う憩いのスポット・待ち合わせの場所になっていました。しかし、まだ名前がありませんでした。

そこで、泉の名前を県民に広く募集したところ、たくさんのご応募をいただきました。地元商店街・マスコミ関係者で構成する選考委員会で選考しこのほど「天まちの泉」と命名しました。

「天」は天文館、「まち」は街・待ちを意味します。人の出会いから生まれる元気を、この天文館から日本全国、世界に向けて発信できたらと希望します。鹿児島県民・市民・鹿児島を訪れた観光客やビジネス客の皆様に、憩いの場・待ち合わせの場として、末永く愛される泉であって欲しいと願います。

 

平成14年3月吉日
「泉の名前」
選考委員会事務局

 

いづろ商店街のトップページで流れているテーマソングについて

 


このテーマソングは若松泰仁さんにより作詞作曲されました。
若松さんは鹿児島で活躍されているミュージシャンです。


若松さんの歴史
中学3年 初めてギターを手にする。
国分高校時代 「長渕剛」のコピーばかり練習。
高校2年 作詞作曲をはじめる。
高校3年 いわゆる70年代フォークに興味をもち練習を重ねる。
大学時代 第一工業大学時代までつづける。
大学3年 友人と初めて鹿児島市内でストリートライブ。その後、ライブハウスでも演奏の機会を得る。
MBCラジオ「マイク一本勝負」に出場。週間、月間、年間グランプリを獲得。
平成12年 甲斐平とユニット
「蜃気楼」を結成。
その年、MBCラジオ
「1107夢ライブ」で
グランプリ受賞。
そのときの楽曲
「Lave」がCD化決定。
平成13年 5月に「蜃気楼」解散。現在は「Parsley」という名前でソロ活動中。

MBCテレビ「ニューズナウ」
のエンディングテーマ提供。

長渕剛・吉田拓郎・井上陽水
さだまさし・チューリップ
ほか70年代アーティスト
をコピー。

 

いづろの歴史〜石灯籠(いづろ)通りの由来

 


石灯籠通りは天文館の松山通りから石灯籠交差点を通り、海岸まで突き抜ける通りである。藩政時代には、突きあたりの港の岸壁に石灯籠が一基立っており、錦江湾を航行する船の灯台の役目を果たしていた。これが石灯籠通りの由来といわれる。

石灯籠通りは現在はその面影はほとんど残っていないが幕末から明治、大正にかけて鹿児島城下で最も繁栄した通りでした。

明治中期、石灯籠通りは新道松山通り共に、鹿児島市の有力店舗が集まり、鹿児島市の二大商店街を形成していた。
石灯籠通りは、大通りの繁華街で、明治屋呉服店など大店舗が多かった。このころ明治屋呉服店は座売りで山形屋より明治屋という気分であったようだ。

また大正時代はじいさん、ばあさんたちの若いころは、人前で恥をかくことを、『こともあろうに、石灯籠通りで滑って転んだようだ』と言っていたらしい。石灯籠通りの海岸側は現在と比較にならない程、にぎやかな通りであった。
石灯籠通りが鹿児島で第一の殷賑を極めているのは呉服屋が多いからであると言われていた。


年間イベント

 

4月
:アーケード内 母の似顔絵展示
5月
:いづろ祭り(春)第2週の土日開催
6月
:アーケード内 父の似顔絵展示
7月
:大国主神社六月灯
10月
:秋のいづろ祭り 第3または第4土日開催

 

写真館

 

天まちの泉
名物いづろ祭り
いづろのモチーフ
いづろの花壇

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